ある男が「地獄の門」を見つめている。

韓国ドラマ「魔王」で、俳優チェ・ジフン扮する弁護士は何度も「地獄の門」の前に立っては、己の決意を固めた。
「魔王」は家族を殺された少年が弁護士となり、自ら復讐するドラマである。
その弁護士は、自分も地獄に入り復讐を遂げると云う、決して後戻りできない自身の覚悟を「地獄の門」に見つめた。

この「地獄の門」であるが、イタリアの詩人ダンテの長編叙事詩「神曲」の作中に登場する。
「地獄」「煉獄」「天国」の3篇から成る「神曲」(1307~1321年)の中で、特に地獄篇の具体的な描写は多くの芸術家にインスピレーションを与え、フランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840~1917年)もその影響を強く受けた。

ロダンは、フランス政府から「装飾美術館の門扉」の制作を依頼されたとき、ダンテの「神曲」をモチーフにすると云う壮大な想いでその製作に取り掛かる。

しかし、ロダンの生前にこの作品が鋳造されることはなかった。

作品の個々のパーツとなる「考える人」などは完成したが、「地獄の門」と呼ばれるこの作品全体の鋳造はロダンの死後である。

ロダンの死後に鋳造された「地獄の門」は、現在、世界に7つしかない。

その一つは松方コレクションを収蔵する上野・国立西洋美術館に置かれている。

神曲の作者ダンテは、「地獄の門」に「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」との銘を記し、暴力者や憤怒者などを地獄につき落とした。また、肉欲(愛欲者)を地獄につき落とし、地獄で苦しむ姿を描いている。

ロダンはといえば、下積み時代を支えた内妻がありながら若きカミーユ・クローデルと交際していた。カミーユはロダン以上の繊細な彫刻を奏でる才能豊かな女性であった。

しかし、その後、ロダンは内妻を選び、カミーユは交際破局等の痛手で精神病棟で約30年を過ごし没した。

いくつかの文献を見る限り、ロダンはカミーユを生涯気にかけ、陰ながらカミーユの再起と成功を願っていたとあるが、真相は分からない。

ロダンは、晩年この「地獄の門」に自分の懺悔を刻んできたのだろうか。
それが「地獄の門」を混沌とさせ完成を遅らせたのか。

「地獄の門」は見る者によりその意味を変える。

ダンテのように地獄に突き落とし裁く者、ロダンのように「地獄の門」に自分を見つめる者。

弁護士は、「地獄の門」に足を踏み入れた者に対しても、「地獄の門」の銘に反し、希望を捨てることなく、救い出したいと願うことがある。

人の過ちのなかに、弁護士は自分自身を見つめ弁護をするが、同時に被害にも思いを馳せ苦悩する。何度も「地獄の門」の前に立っては、己の進むべき道を自問する。弁護士は誰かの審判官ではないが、正義の天秤を傾けてはならない。

「地獄の門」は時代を超え、今なお、誰かの心の鏡となり、様々な苦悩を受け止める。

上野の群衆の喧騒を離れたところに、「地獄の門」は静かにたたずむ。

気づくと「地獄の門」の前に男の姿はなかった。

あの男は、「地獄の門」に何を見たのか。