Vol.02 2022.11.17
「地域医療の最後の砦」
伊藤 雅史 Masashi Itou
Profile
社会医療法人社団慈生会 理事長
1956年3月生まれ
1980年東京医科歯科大学医学部医学科卒.医学博士.東京医科歯科大学医学部第二外科入局、助手、講師を経て2005年より同大学臨床教授.2007年より社会医療法人社団慈生会理事長、現在に至る.
日本外科学会・日本消化器外科学会;専門医、指導医.日本臨床外科学会:評議員、日本脈管学会;特別会員.
元東京都医師会理事、日本医療法人協会常務理事・東京都支部長、日本社会医療法人協議会理事、東京都病院協会理事.
01コロナ疑い患者を積極的に受け入れ地域の最後の砦として信頼を得る等潤病院伊藤雅史理事長
令和2年4月、コロナウイルスが猛威を振るい社会を混乱に陥れ始めた。この4月、社会医療法人慈生会・等潤病院(東京都足立区)は前年比57%増で救急車を受け入れた。救急車は区外からもやってきた。
コロナ禍において、最初の緊急事態宣言が発令されたのは令和2年4月7日である。
安倍総理大臣は7都道府県(東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡)に緊急事態宣言を発令し、4月16日には対象を全国に拡大した。
等潤病院は、指定二次救急医療機関、東京ルールにおける地域救急医療センターとして、コロナ禍以前から、搬送先が決まらない救急車を積極的に受け入れてきた。
しかし、コロナ禍において、コロナ疑い救急患者に対する「たらい回し」が深刻な問題となり、東京都は、令和2年6月30日午前9時から「新型コロナ疑い救急患者の東京ルール」を開始した。
この新東京ルールにより「新型コロナ疑い地域救急医療センター」として東京都から指定された医療機関は、救急隊からの「選定困難事案」に対し、新型コロナ疑い救急患者を毎日24時間、必ず受け入れなければならない。選定困難事案とは、5医療機関が受け入れ困難な場合又は20分以上搬送先が決まらない場合である。
東京都において、5医療機関が受け入れ困難又は20分以上搬送先が決まらなかった救急搬送は、令和2年3月は931件、4月は2365件、5月は1626件あり、4月は前年比で4倍に膨らんだ(東京新聞2020年6月12日記事)。
これは、等潤病院における4月の救急車受け入れ前年比増とほぼ相関関係を見出せる。
当時、都内では発熱患者がおよそ40もの病院から断られたケースが報道されていた。
等潤病院は、この新しい東京ルールにおいて「コロナ疑い地域救急医療センター」に指定された。この指定により、等潤病院にはようやく受け入れに関する公的支援がなされることとなる。
しかし、等潤病院は、このような逼迫した状況下で、不可避というべきクラスター事案を経験することになる。
等潤病院は、令和2年8月23日に入院患者6名、職員1名のクラスター事案を発表した。
このクラスター事案は、足立区の要望もあり伊藤雅史院長(理事長)が記者会見を行い、全国に報道された。
各報道機関は、コロナ最前線で戦う医療機関の逼迫状況を客観的に伝えた。クラスター事案を経験し記者会見を行なった等潤病院の危機管理はむしろ地域医療の信頼をより強め、全国的に注目された。
そこで、長年お付き合いさせていただいている伊藤雅史理事長に、クラスター事案の危機管理について、お話を伺った。
02発生経緯について
令和2年8月に当院での初めての新型コロナウイルス感染症の院内感染(クラスター事案)が発生しました。
診断日別の発生状況は、8月17日患者2名、19日患者2名・職員1名、20日患者1名、21日患者1名でした(合計7名)。
原因は、区外から救急搬送された患者がPCR陰性確認後、大部屋に転床後に感染発覚・拡大したことによるものと当院では推察しました。急患の個室はすぐに埋まるため陰性確認後に大部屋にすぐに移す必要があり、その後の再度のPCRで陽性が確認され、感染が広がったものと考えられました。
コロナを診断するための検査にはPCR検査や抗原検査など様々な方法があり、検体採取も鼻咽頭から鼻腔、唾液まであり、それぞれ診断能力が異なりますので、一定の頻度で偽陰性や偽陽性が発生することが現在までに分かってきました。
また、インフルエンザは発熱などの症状が出てから感染性のピークがありますので、本人や周囲の方も用心することができます。しかし、コロナでは症状が出る2日前に感染性が最も高く、有効な予防ができないという特徴があります。
更に、インフルエンザでは感染から5~8時間程度で検査が陽性となりますが、コロナでは2~3日経過して初めて検査が陽性となりますので、濃厚接触して直ぐに検査して陰性であっても、それは感染していないことの証明にはなりません。
しかし、これらのことは多数例の臨床経験の蓄積によって分かってきたことであり、当時はPCR検査を診断の拠り所としており、急患の個室はすぐに埋まるために陰性確認後に大部屋に移すことで多くの救急搬送患者を受入れてきました。コロナ疑い患者を積極的に受入れた病院ではこのような事例がその後全国で多数発生していきました。
03記者会見について
私たちのこの初めてのクラスターと云う経験について、足立区からは記者会見を打診されました。クラスター発生後、私は当病院を率いる者として、この状況をどのように地域に周知すべきかを考えていたところでした。
しかし、記者会見となると地域以外の全国にも報道されますし、病院に対する信用を落とすのではないか、職員や家族が差別されないかなど色々な不安要素がありました。
悩んだ結果、地域の病院として信頼されてきた以上は、こういう非常事態のときこそ、地域住民に積極的に情報発信することがより地域の安心に繋がると考え、また、区外からの救急搬送も増えていたので、逼迫した医療機関の現状を現場から全国に伝えなければならないとの思いから、覚悟を決めて記者会見を開くことにしました。
8月23日の記者会見では、60代から80代の入院患者6名及び職員1名の合計7名のクラスターが発生したことなど詳細な事案の経緯とお詫びをしました。また、感染対策、さらにコロナ以外の2次救急医療に取り組みながら、並行して、コロナの感染対策に取り組む難しさを語りました。
報道各社の論調は、バッシングではなく、コロナ疑い患者を区外からも積極的に受け入れ続けた等潤病院に理解を示していただく冷静な報道であったと感じています。
04記者会見の反響について
記者会見後、予測に反し多くの励ましをいただきました。
ところが、翌8月24日朝に、学校や保育園などから看護師宛に等潤病院の子どもは登校を控えるようにとの連絡が入ったことが判明しました。
すぐに調べたところ、区外を含めて12名の職員の子どもが登校・登園を拒否されている状況でした。
私は区の衛生部長に連絡したところ、「すぐ対応します。」と言っていただき、その後、区の教育長からも連絡をいただきました。教育長から学校側に「医療従事者の子どもに対する偏見や差別は断じて許されるものではない」という国の方針を強く伝えていただきました。
そのため、翌日にはなりましたが、全員登校できるようになりました。
当時、医療従事者を応援するという社会的風潮が出てきていたなかで、いざというときになると医療従事者への差別が起きてしまう現実を目の当たりにしました。こういう差別には仕方がないとして諦めるのではなく、直ぐに対処することが極めて重要であると再確認しました。このときの足立区の全面的なサポートにも感謝しています。
記者会見の反響は大きく、あるとき現金書留が届きました。残念ながら亡くなられた患者のご家族様からで、当院が逃げずに患者を積極的に受け入れたことへの感謝ということでした。
また、地域の小学生6年生が道徳の時間に医療従事者に感謝を伝えようと自分たちで発案し、多くの手書きのメッセージカードをいただきました。
地域の中華料理店からはチャーハンの差し入れをいただくなど、地域ぐるみの応援があり、またその応援は現在も続いています。
おそらく、記者会見をしなければ、ここまでの反響はなかったのではないかと思います。
05断らない救急医療への想い
他の病院は断っているのに当院は区域外からもコロナ疑い患者を受け入れるなんて、どうしてこんな危険なことをするのか、と疲弊する職員の中からは愚痴も正直聞こえました。その気持ちは痛いほど理解できました。
しかし、救急医療は逃げてはいけない、救急車を受け入れすぐに治療してあげたい、等潤病院は地域医療の「最後の砦」でなければならない、いま逃げれば医療は本当の意味で崩壊する、そう考え伝えてきました。
今ではそのような愚痴も聞きません。
クラスターを契機とした記者会見の反響、地域の励ましが職員に勇気を与えてくれたのです。
私たちは限られた施設でできる限りの感染症対策を実施していましたが、それでも初めて経験するコロナウイルスの猛威に感染が広がることもあります。
感染症の拡大は絶対に防ぎたいと思い対策していますが、もし感染拡大した場合に何をすべきか。あの記者会見は、医療関係者に勇気を与えました。みなクラスターにおびえていた中で堂々と記者会見をしたことで、みんな戦っているんだと鼓舞されたとよく言われます。隠さず、記者会見までしたことで、信頼を得て、かつ、誰かを励ますことができたことで危機対応は逃げない、隠さない、想いを伝える、ということが大切であると改めて感じました。この経験は、当時、m3医療維新さんや東洋経済さんにも記事にしていただきました。
等潤病院は、特別なことをしているのではなく、地域に根差す以上は地域医療の「最後の砦」になりたいとの思いだけです。
等潤病院は、コロナ禍以前から、救急患者を積極的に受け入れてきました。自分の家族がたらい回しにされたら、そんな事態は許せないはずです。患者の気持ちの中に自分を見ることが医療の基本であると考えます。
先のクラスター事案は、8月24日から9月2日までの間、保健所、都実地疫学専門家チーム及び厚生労働省のクラスター対策班・感染対策チームの合同調査が行われました。感染経路の特定には至らなかったのですが、これはコロナ感染ルート分析の難しさを示しています。
専門家の調査では、感染対策の細部へのコメントや職員全員での均質な感染対策を確実に実行できる体制への指導はなされましたが、等潤病院の感染症対策の基本的方針・体制には問題点は指摘されず、改善命令などが出されることはありませんでした。自分たちがやってきたことは間違いではなかったとの思いを強くしました。
等潤病院は9月7日に収束宣言を出しましたが、コロナとの戦いは今日この瞬間もまだ続いています。
新型コロナウイルス感染症は、COVID-19と呼ばれるように2019年後半に中国武漢市で初めて確認され、2020年1月に日本でも初めての感染者が確認された。
2022年12月の時点でも新型コロナウイルスは依然として猛威を振るっている。
私たちは約3年もの間、コロナ禍にある。
その間の医療従事者の方々の献身は筆舌し難い。
いくら社会がコロナ禍に対応しようとも、その社会が支えられているのは医療があってこその話である。
現在叫ばれている社会や企業の持続可能性は、環境などに重きが置かれがちであるが、環境と同列の最重要課題の一つが医療である。
医療はあって当たり前のものではない。少しでも油断すればすり減ってなくなってしまう。誰かが身を挺して支えている。
そのような社会を支えている医療の意義を私は再確認したかった。
「慈生会」という法人名は、地域とともに「生きる」。そして誰にでも「慈しみ」を「等しく」に由来する。
企業理念やパーパス(存在意義)経営が叫ばれているが、法人名を身体を張って貫く姿勢は組織経営のお手本と云える。
伊藤理事長のお話は、私たちが今一度思い出すべき戦いの軌跡であり、危機管理において学ぶべきことの多い貴重なStoryである。
伊藤理事長の故郷である愛媛県西条市の西条祭りで担がれる「西条だんじり」の彫刻師、石水信至氏に特別に彫っていただいた「青龍と朱雀 夢つむぐ」と題する貴重な彫り物と共に