01自ら被災しながらも奇蹟的な人命救助を成し遂げた有限会社ランドアース迫田重光社長

令和2年7月豪雨は、熊本県を中心に、大きな被害をもたらしたコロナ禍の真っ只中で起きた激甚災害である。

熊本県南部を中心に観測史上最多の雨量を記録したのは、令和2年(2020年)7月3日(金)の夜から4日の朝にかけてのことである。3日から4日の雨量は24時間に400ミリを超えた。

気象庁は、7月4日午前4時50分に熊本県などに大雨特別警報を発令し、人吉市では同午前5時15分には全市民に避難指示を出している(広報人吉2020年8月号)。

球磨川の水位は観測史上最高となる7.25メートルに達し、球磨川や支流が各所で氾濫。熊本県内の死者は65名、関連死と行方不明者は各2名と甚大な被害をもたらした。

死者の中には、球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」の入所者14名も含まれている(熊本日日新聞WEB「特集 熊本豪雨1年」)。同ホームの浸水の深さは最大で9メートルに達したとみられる。

球磨川は橋梁も流され、熊本県八代市と鹿児島県霧島市を結ぶJR九州の肥薩線は八代〜吉松間(全線の約3分の2)が現在も運休している。人吉は八代と吉松のほぼ中間に位置している。

家屋被害は1491棟が全壊、3112棟が半壊、浸水713棟、一部破損は2079棟。人吉市は市内の3分の1の建物が浸水被害を受けた。今でも仮設住宅で暮らしている方々がいると云う。

ランドアースと迫田氏は、この令和2年7月豪雨と呼ばれる災害に被災し、事務所は2階の屋根付近まで浸水し24艇もあったラフトボートの多くも失った。しかし、避難中に偶然漂着し住民が繋ぎ止めたラフトボートを使い、竹やスコップでラフトを漕ぎながら、周辺住民や千寿園での人命救助を行い、多くの方の命を救った。

九州に初めて商業ラフティングを持ち込んだのは人吉市に隣接する球磨村で有限会社ランドアースを立ち上げた迫田重光氏である。時は平成5年(1993年)7月のことである。ランドアースの目前には日本三代急流と呼ばれる球磨川が流れている。ランドアースは球磨川を基点として日本有数のラフティングカンパニーとして成長してきた。

RAJ(一般社団法人ラフティング協会)などを通じて20年近いお付き合いとなる迫田氏に当時の状況と今後の教訓について伺った。

02地域住民の命を守るために

7月3日は夕方から雨が激しく降り続いていて、携帯からは夜中に何度も球磨村のアラートが鳴り、球磨川が氾濫する危険を知らせていました。

私は一旦寝たもののやはり心配で午前2時半に起きて午前3時に事務所に来ました。既に球磨川は氾濫しそうな気配でしたのでスタッフたちに電話をして、午前4時からバスやトラック7台を高台に避難させました。パソコンや電化製品は2階に移動し、ライフジャケットなども移動させて、作業を終えたのは午前6時半でした。
自分たちが避難をするときには既に氾濫が始まり1階の床下浸水が始まっており、危うく自分たちの車も浸水する寸前でした。

まさか浸水しても事務所の1階が床下浸水する程度だと考えていましたが、あっと言う間に事務所は2階まで浸水しました。

自分の事務所が2階まで浸水するのを見て、いままで築き上げてきたものが失われたことに落胆しつつも、浸水のあまりの速さに驚き、命があっただけ有難いと感じていたところ、地域住民から屋根に避難している人達がいるから救助できないかと相談されました。

流石に救助にはボートが必要だと答えたところ、流れてきたボートをロープで括っていると言われ、驚いて見に行ったら、なんとランドアースのラフトボートでした。

そのボートはよりによって空気がかなり抜けた壊れているボート2艇でしたが、何としても救助したいとの思いから、ラフトボート2艇を上下に重ねて、浮力を生じさせました。
次に、何か漕ぐものはないかと、パドルの代わりとなるものを住民達と探し、竹や箒、スコップが集まりました。

これは天命と思い、早速ボートを漕ぎ、
事務所近くの建物屋上に避難していた15名を救助しました。
ボートは濁流に流されないように、電柱にロープを結びながらコースを作り(電柱に電力が流れてないことを確認)、そのロープを伝い漕ぎながら建物に向かうという形でした。
屋根の上は滑りやすく、歩けない方もおられましたので、スタッフが建物に降り、ラフトボート近くまで運び、数名で慎重にボートに移動させました。

その後ランドアースの元スタッフから対岸側で屋根に避難している人がいるので助けられないかと電話が入りました。対岸に渡ることは非常に危険な状況でしたが、何とか助けたいと思い対岸に渡る方法を慎重に検討しました。
球磨川は氾濫し濁流でしたが、球磨川の流れを理解していたことや、川での世界的な救助資格であるRESCUE 3を取得し講師もしていた経験から、まず球磨川をラフトボートで遡上して下流に流されていく方法で無事に500メートル先の対岸に渡ることができ、2名を救助しました。

そして、報道もされている多くの死者を出した千寿園で2名を救助し、その後、自衛隊や消防・警察と合同で救助を行い、合計で20数名の救助を行いました。

私がこのような救助が出来たのは、RESCUE 3の資格を保有し、九州全域の消防隊員などに講師として川での救助活動を指導してきた経験が大きかったです。
RESCUE 3 JAPANは、アメリカ合衆国に本部を置く、緊急救助活動に関わる民間団体の名称です。急流救助のスイフトウォーターレスキュー、テクニカルロープレスキュー、アクアティックヘリコプターレスキューの3つをプログラムしていたことからこの名称となっています。レスキュー3は、世界33か国に支部があり、本拠地アメリカでは、ウォータースポーツ関係者に留まらず、消防・警察関係の受講者が大半を占めており、実際の事故現場でその最新のレスキュー技術を用い多くの成果を上げています(RESCUE 3 JAPANのウェブサイト参照)。

日ごろから、川での救助活動の準備をしていたお陰で、目前の状況を見て、何をすべきかが頭の中で整理でき、救助の道筋が立ったことが大きかったと思います。ただやみくもに救助するのではなく、やはり事前の訓練が必要だと思います。

その後も迫田氏とスタッフは、ランドアースの事務所を失った状況でありながらも、地域の浸水家屋の清掃などをボランティアで行ってきた。
迫田氏によれば高齢者が泣きながら皿を運んだりする姿を見て、励まし続けたと云う。災害時の濁流には、細かい砂が流れてきており、迫田氏はその細かい砂を見てどこから流れて来たのかと疑問に思ったとのことである。迫田氏の予測によれば、あくまでも予測であるが、ダムの底にあった砂ではないかと考えているとのことである。それは異臭がすごい砂ということであった。砂が細かいので、あらゆる箇所に砂が入り込み地獄絵のようであったということである。しかも、ガソリンなども流れてくるので一面ガソリン臭くなったということである。報道や写真では臭いは感じないが、現場は異臭が激しいとのことである。

また、7月・8月という猛暑での清掃であり、コロナ禍でマスクをしながらの清掃は過酷を極めたという。精神的肉体的な疲労を、熱さとコロナ禍が重く覆った。

そして、被災から2年の現在、地域は徐々に復興してきたが、球磨川の橋の約半数は復帰のめどはたたず、迫田氏は今でも自身の事務所の修復作業を続けている。豪雨は去っても球磨川の川岸などには多くの漂流物やゴミが残っており、迫田氏は今日もまた球磨川でのゴミの回収を続けている。

03地域の復興なくして
ランドアースの復活もない

迫田氏は「地域の復興なくしてランドアースの復活もない」との信念から、地域住民の浸水被害回復を手伝ってきた。しかも、スタッフの生活を考え給与を支払いながら地域ボランティアを行なってきた。
夏のラフティングシーズンに収益活動ができない状況で人件費は多い時には月200万円を超過した。ただでさえコロナ禍で激減していた会社の資金はさらに枯渇していき、有志の援助や助け、そしてクラウドファンディングなどの援助で何とか会社を維持してきた。

04豪雨災害救助の留意点について

迫田氏に今の想いを伺った。

災害救助時の留意点について
濁流は重かったです。「綺麗な水」と「土砂が混じった水」とでは当然重さは違います。綺麗な水での救助と同じ状況にはなりません。
また、濁流の中で避難住民をボートに乗せることは難しく、もし落として仕舞えば濁流だから直ぐに姿が見えなくなる。その怖さを感じながら慎重に救助をしていましたが、救助後に思い出し怖くなり震えがきました。

災害時の対応と事前準備について
災害アラートが鳴ったら直ぐに避難しなければならない。あっと言う間に増水しその速さは想像を絶しました。氾濫してからでは間に合わないです。
日頃から直ぐに高台に避難できるように準備、練習をしておかないと本番では何をして良いか分からなくなります。
そして、何より、目の前で今までの生活や資産が失われても、そんな失意やどんな過酷な環境でも「生きていく力」が必要だと再確認しました。

05今後の災害救助の提言について

消防・警察・自衛隊によるラフト漕艇について
迫田氏によれば、消防・警察・自衛隊であっても、いきなりラフトボートの漕艇をすることはできないという。そこで、迫田氏は、一般社団法人ラフティング協会(RAJ)に提言し、全国の消防・警察・自衛隊などがラフトボートを漕げるようにRAJで研修プログラムを作成することを提言し、既に動き始めているということである。
RAJの会員は、全国でリバーラフティングなどのアウトドア事業を行うプロ集団であり、日ごろから高度なリバーレスキューの訓練を繰り返している救助のプロ集団でもある。しかし、今回の迫田氏のように民間事業者では限界がある。消防・警察・自衛隊がラフトボートを所有し、いざというときにラフトボートを漕艇して救助できれば救助の幅が広がり、より多くの人命救助ができると迫田とRAJは考えている。

ライフジャケットの普及について
また、迫田氏は、ライフジャケットがより民間に普及していき、災害時にはライフジャケットをつけて避難する姿が理想ではないかと感じている。
確かに、人はいつどこで溺れるか分からない。都心にいても決して油断はできない。
防災ヘルメットと同じようにライフジャケットが民間により普及することが望まれる。

迫田氏の貴重な経験から、迫田氏のもとには被災後、救助活動のことを聴かせて欲しい、修学旅行生たちに話をしてほしいなどの依頼が増えており、講演を通じて、災害の怖さや準備の大切さ、今やるべきことを広めている。
私たちは迫田氏の命懸けの活動から、災害列島日本におけるsustainableな事業活動の本当の土台を再確認することができる。災害時に分厚いマニュアルなど役には立たない。誰が何をするのかその日ごろの訓練こそが全てである。私たちは、迫田氏から実践的な教授を受ける幸運に恵まれている。

令和2年7月豪雨は、まだ終わっていない。仮設住宅で暮らす方、必死に立て直しをしている方、大切な人を亡くした悲しみに終わりはない。

しかし、ランドアースにかかった霧は必ず晴れると信じて疑わない。迫田氏は日本のラフティングを切り拓いたパイオニアのひとりである。迫田氏の救助活動はマスコミでも報道され、脚光を浴びたが、ランドアースはまだ復興の途中である。何度もくじけそうになったが、多くの方々の支援や、地域の声「ランドアースに足を向けて眠れない」「球磨村はランドアースに救われた」が何よりの支えであった。

球磨川にまた多くの歓声がこだまする日が来るまで、迫田氏の活動をいつも心に刻み応援したい。

最後に、被災で亡くなった方々のご冥福と、被災者の方々が少しでも心の曇りが晴れる日があることを願って止まない。

ランドアースのYouTube動画

ドローン撮影・映像製作
株式会社コマンドディー
代表取締役 兼 ドローンパイロット 稲田悠樹